ホームステイ先は二人ともゾーン4。
学校へは電車通学だった。
籠島 学校がゾーン2と3の間ぐらいで、ホームステイ先がゾーン4だったので、電車で30分ぐらいかかり、通学はちょっと不便でしたね。でも電車の乗り換えは分かりやすかったので、迷うことなく学校へは通えました。
勇野 私は学校がゾーン1で、ホームステイ先がゾーン4、いや5に入るくらい遠くて、電車で1時間ぐらいかかりました。電車通学の時に思ったのですが、向こうの人は“諦める”のです。
籠島 “諦める?!”
勇野 そう、日本人だと駆け込み乗車するじゃないですか。向こうの人は乗れないと思った時点で“諦める、乗らない!” こういう感じでいいんだ、と思わせてくれる。それがすごくラクで良かったです。
籠島 確かにそうだね。電車も日本ほど発車時刻は正確ではないけれど、頻繁に来るよね。
勇野 そうなの、私は最高4本見送ったくらいだもの。それにマナーもいいです。日本では降りる時に「降ります」って言っても「えっ?!」とか「最初から出口付近にいろよ」という雰囲気じゃないですか。それが小学生の男の子が乗っていて“Excuse me”の一言で、周りの人がサッと道を開けてくれて、感動しました。
籠島 僕もそれは感じました。
籠島 クラスには最初日本人が8人中で3人ぐらい。その後だんだん増えてきて、15人中で6、7人はいましたね。
勇野 時期的な問題なのでしょうけど、それは多いね。私はひと月遅れだったけど、1クラスに数えるくらいしか日本人はいませんでした。
籠島 僕の時は、とにかく日本人が一番多かったですね。でも自分は積極的に人と話すタイプではないので、少し安心感はありました。学校での言語は“英語のみ”というルールでしたから、最初はドキドキで「どうしようか」と、1週間ぐらいは不安の連続でした。最初は「ちょっと日本人、何やっているのよ」なんて言われ、プレッシャーの毎日。そんな時同じ国の人がいないと心細いし、最初はキツイ!
勇野 そうですよね、最初は同じつらさを共有できる人がいないと、やっていけない!日本人が全くいないのがいい、という人はそうとう英語が分かる人だと思いますよ。
その後、二人はどうやって、授業に、クラスメートに慣れていったのか。
籠島 最初は他の国の人の英語が全く分からなくて“僕だけ、なのかな?”と不安だったけど、だんだん彼らの英語が聴きとれ、そのうち“こういう意味だったんだ”と感覚的に分かってきました。最初に仲良くなったのは、陽気なブラジル人。お菓子交換をし、好きなサッカーの話で盛り上り、彼のお陰で前向きになれた気がします。他にもフランス人のクラスメートは日本のことをよく知っていて、“アニメ、いいよね”で打ち解け、すぐに友達になりました。
勇野 そう、“日本”というと、今はアニメなんだね(笑)。
籠島 そうそう、皆よく知っているよ。それからは彼らとアクティビティで水族館へ行ったり、オックスフォードに連れて行ってもらい、楽しい毎日でした。
勇野 私の学校は、4、5クラスに分かれていて、まず、最初に文法だけのテストがありました。日本人にとってはいたって簡単なテストですよ。それで一番上のクラスに入っちゃって、それからが大変でした。
籠島 一番上のクラスはスゴイ!日本人は居たの?
勇野 20人中、日本人は私一人なの。日本人は、グラマーはできても、リスニングが弱いんです。他の外国人はリスニングができて、グラマーができない。リスニングができないから、もう全く授業についていけなく、ただ、ただ困りました。
籠島 頑張った?
勇野 もう「頑張れば聴きとれるかも」なんて、レベルではないの。それで変なプライド持っていても仕方ないから、意を決し、校長先生に話して、1つ下のクラスに下げてもらいました。そこのクラスでは先生がゆっくりと話してくれて、授業にもついていけ、それからは楽しかった。聴きとれれば、間違っていても話せるし、会話が成り立ちます。上のクラスでは話していることが分からないので、発言もできないのです。正直に話して良かったと思います。クラスメートはヨーロッパの人が多く、特にイタリア人が多数いました。彼らは陽気で明るく、積極的。日本では“謙虚さが美徳”というイメージがあるじゃないですか、でもそんなこと言っていたら、この国ではやっていけないと思いました。授業中も自分から「分からない!」と、その場で言い、聞く。皆そうなんです。
籠島 そうそう!日本では、自分だけが分からないだけで、他の人は分かっているのだから、後で聞けばいいと考えますよね。向こうの人は速攻で、授業止めちゃう。周りを気にすることなく、いい意味で授業に前向き。それが彼らにとっては普通のことなのです。
勇野 しかも彼らの英語はスゴクなまっているし、文法も間違っているのに、気にせず、とにかく話します。私は最初「文法が間違っていないかしら」とか、「発音が違うのでは」と考え、話すことができませんでした。でも彼らと接していて「間違ってもいい!話せばいいんだ!」と思えてきたのです。
籠島 僕も道が分からず、ドキドキしながら地元の人に聞きたことがあります。一生懸命に伝えました。すると、分かってくれました。それからです、「伝わればいいんだ!」と思い、開き直れて、どんどん積極的に話せるようになりました。
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