次の日からロサンゼルスでの学校生活が始まりました。当然ですがそこにいるのは知らない人ばかり。僕がすぐに心配したのは友だちができるかどうかでした。けれどふと思ったのです。今までの学校生活を振り返えれば友だちは自然にできていました。だったらそんなに無理しないでおこうと考えました。結果は正しかったようです。いつの間にか僕と同じような(どちらかと言えば大人しい感じの)日本人と話すようになっています。ただまだ外国人の友だちはできませんでした。
そんなとき、向こうから話しかけてくれたのがサウジアラビアの学生だったのです。生まれ育った国も母国語もちがうけれど僕は素直に「なかなか外国人の友だちができない」と悩みを打ち明けました。きっと向こうも同じ思いを持っていたのかも知れません。
「じゃ今日から僕が友だちだ」と彼は言い、その日からランチもいっしょに食べるようになりました。一度、その友人と街に出て、サウジアラビアのカプサを御馳走になったこともあります。カプサは炭火で焼いたラム肉と炒めたライスを手で握ってそのまま食べるサウジアラビアの郷土料理です。生まれて初めて口にしましたが外国の友人と食べたその味は格別でした。友だちも増え、少しずつ研修生活に慣れてきて行動もより積極的になってきました。そんな矢先に誘われたのが友人のステイ先で開かれているパーティです。学校ではない人たちと出会い、話すのは勇気もいることでしたが、迷わず「行く」と返事をしていました。
実際に参加するとそこには友達のステイファミリーやその友人、語学学校の日本人の友達が集まり、みんなネイティブな英語で楽しく会話をしています。以前の僕ならその勢いに圧倒されていたのかも知れません。しかし、行きの飛行機で出会ったおばあちゃんが「自分の意見はしっかり持つように」とのアドバイスも生きて、自分の意見をハッキリと伝えることができ、少しずつ何かが変わっていったのでしょう。お互いにお酒を交わしながら、とても楽しく白熱した会話が楽しめました。
2週間くらい経った頃でしょうか。気がつくとスピーキングもヒアリングも楽にできるようになっていました。その頃、学校で流行していたのはバスケットボール。近くの公園にはバスケットのゴールネットがあり、学校でボールは貸してくれるため多くの学生が楽しんでいました。
当然、学生たちの国籍は多種多様。けれど僕はある日ごく普通に「仲間に入れて」と言えました。頭で考えて言葉を見つけるのでなく、日本語と同じように意識しないで英語がパッと飛びだし、相手の言葉もそのまま理解ができていました。2週間を過ぎるとそこまで英語が上達していたのです。
バスケットには担任のチャールズ先生が加わることもありました。先生は正直言ってバスケットボールはあまり上手ではありません。それどころかルールもわかっていない様子だったのです。
僕が一つずつルールの説明をしてあげるといつものジョークが飛び出しました。それは「このバスケットでNBAにデビューする決心がついた。そのとき、君のサポートが必要だ。デビューの際は必ず私を支えるように」といった内容でした。もちろん僕はOK!と先生にジョークを返しました。
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